チョコレート・ラプソディ



中編



 家に帰って早速パソコンを立ち上げ、検索をかけると、驚くくらいたくさんヒットした。豪華なものから、ちょっと洒落の効いたものまで、チョコレートの種類もたくさんあるらしい。片っ端からウインドウを開いて見ていくと、どれがいいのかわからなくなってくる。せっかくだから、さすが楊ぜん、と太公望が感動してくれるくらい、いいものを贈りたい。見た目の美しいもの。材料にこだわったもの。あまりお菓子など食べない楊ぜんでも名前を知っている有名なチョコレートのブランドもある。
 一緒に検索に出てきたチョコレートの作り方のページを見て、楊ぜんは考えを変えた。
 どんなに有名店のチョコレートを贈ったって、それを贈る女性は数多くいるのだ。だったら、楊ぜんだけの特別なチョコレートを太公望に贈りたい。
 手作りにしよう。思いっきり手の込んだ手作りチョコレート。
 チョコレートは素材で味が決まるといった蝉玉の言葉は本当らしい。楊ぜんは悩んだ挙句、スイスから輸入されているビターとスイートのチョコレート、それからココアパウダーと洋菓子用のブランディーをそれぞれ注文した。
 生クリームだけは近くのスーパーで買うことにする。
 チョコレートトリュフを作るつもり。

 いったんチョコレートを上げようと決意してしまうと、楊ぜんはなんだか恥ずかしくて、学校ではなるべく太公望に会わないように放課後はさっさと家に帰ってしまった。

 通信販売なんて初めてだから心配だったけれど、チョコレートはちゃんとバレンタインディの前日に届いた。
 バレンタインの前日にチョコレートを作ってるなんて師匠に知られるわけには行かないから、楊ぜんは夕食を食べた後いったん部屋に戻った。11時を過ぎると朝の早い師匠はさっさと寝てしまう。念のために12時までまって、楊ぜんはこっそりと台所に入る。
 作り方のメモを片手にまずはチョコレートを刻む。硬いチョコレートを刻むにはちょっと力とコツがいる。お菓子作りは意外と重労働だ。湯煎でチョコレートを溶かしていると、後ろに気配を感じた。
「師匠?」
 まさかと思って振り返ると、師匠が驚いたような顔で台所に立つ楊ぜんを見ている。
「こんな時間に、なにをしているんだ?」
「師匠こそ。何で起きてるんですか!」
 思わず楊ぜんは叫んだ。よりにもよってチョコレートを作っている現場を押さえられるとは不覚だ。急にチョコレートが食べたくなって、クラスの女の子に頼まれて、言い訳がぐるぐる頭の中で回転するけれど、どれも限りなく不自然だ。
「お前が騒がしいからだろう」
 あきれたように師匠は言う。そんなに大きな音を立てただろうか。普段あまり料理をしないので、ちょうどいい大きさのボウルを捜すのに手間取ってしまった。
「チョコレートを作っているのか」
「はい」
 見れば判ることだから、楊ぜんは素直に頷いた。次に来る台詞はなんだろうと、脳をフルスピードで回転させながら。
「最近は男が女の子に贈るものなのか?」
 しかし、師匠は不思議そうにつぶやくと、なにやら納得したような顔をした。師匠の頭の中ではそういう結論に達したらしい。その勘違いに乗じて、頷いてしまおうかとも考えたが、それでは楊ぜんに好きな女子がいることになってしまう。これからも師匠はそういう話を話題にするだろうし、それはあんまり得策ではない。考えに考えて楊ぜんはにこりと微笑んだ。
「師匠に贈ろうと思って」
「私に?」
 師匠はきょとんとする。
「はい。いつもお世話になっているので」
「そうか、私にか」
 とたんに師匠は照れたような嬉しそうな顔をする。これで師匠の思考回路は停止したはずだ。師匠が甥に当たる楊ぜんを溺愛していることは楊ぜんだってちゃんとわかっている。それを利用するのは申し訳ないが、楊ぜんはほっと胸をなでおろした。
「おいしいのを作りますから、期待していてくださいね」
 にこりと楊ぜんは微笑んでみせる。
「何か手伝おうか?」
「師匠が手伝ったら意味がないじゃないですか。もう寝てくださいよ」
「ああ、おやすみ。楊ぜん」
 嬉しそうな師匠に、楊ぜんの罪悪感はますます高まる。本当においしいのを作って、師匠にプレゼントしよう。師匠があんなにうれしそうにしてくれるなら、これからずっとバレンタインにチョコレートを贈ったっていい。
 よし。と気合を入れて、楊ぜんはがんばった。

 朝早く起きて楊ぜんは固まったチョコレートを確かめる。ラッピング素材もばっちり通販で買ってある。ためしに一つ口の中に放り込んでみると甘い味が口いっぱいに広がった。
 これは。
 楊ぜんはちょっと固まる。
 決して不味いわけではないのだ。おいしいか不味いかと聞かれたらたいていの人はおいしいと答えてくれるだろう。だけど。
 何が悪かったんだろう。湯煎の温度が低かったのか、泡たてが足りなかったのか。
 不味くはない。だけど。滑らかであるべきナガッシュがざらざらする。
 これは。
 ――愛しのハニーにはやっぱり最高のものを贈りたいじゃない?
 これは太公望には渡せない。
 楊ぜんはしゅんとした。今からじゃ、ちゃんとしたお店にチョコレートを買いに行くのも間に合わない。一度試しに作ってみるべきだったのだ。あるいは、失敗したときのために普通のチョコレートも注文しておくべきだったのだ。
「おはよう。楊ぜん。どうした?」
 起きだしてきた師匠は、普段よりも早起きの楊ぜんに驚き、それからその悲しそうな顔に眉をしかめる。
「師匠、チョコレート、失敗しちゃいました」
「そうか、一つ貰ってもいいか?」
 楊ぜんが頷くのを待って、師匠は楊ぜんのチョコレートを口の中に入れる。
「大丈夫だよ、楊ぜん。おいしいよ」
「でも、こんなのじゃ、贈れません」
「どうしてだ? 初めて作ったにしては上出来じゃないか」
「だけど師匠」
「私は楊ぜんが私のためにチョコレートを作ってくれた。それだけで十分嬉しいよ。それにこのチョコレートは本当においしい」
 楊ぜんはますますしゅんとする。師匠を騙してまで作ったチョコレートだったのに。悲しいのと情けないのと申し訳ないので、目の奥がじわっと熱くなる。
「楊ぜん。何時までもそんな顔をしていないで、学校に行く支度をしなさい。遅れるよ」
 師匠にせかされて、楊ぜんはしぶしぶとトーストの朝食をとった。

 いってきますと家を出ると、空は綺麗に晴れていた。結局あのチョコレートは持っていく気になれなくてラップをかけて冷蔵庫にしまった。それでも、チョコレートを贈るためにずっと避け続けていた太公望に結局何も贈らないのは申し訳なくて、楊ぜんは駅前のコンビニで手のひらに乗るくらいのブルーのリボンがかかったチョコレートの箱詰めを買った。店員が不思議そうな顔をしたけれど、鉛色でどんよりとしている楊ぜんの心は特に何も感じなかった。
 学校について靴箱を開けるとすでに、チョコレートの包みが置かれていた。靴箱にチョコレートって、と首をかしげながらも楊ぜんは丁寧に包まれたそれをそっと回収する。可愛いリボンがかかっているもの、ピンクの造花が添えられているもの。あの人ごみの中を自分のために買ってくれたんだなと思えば、かばんに入っているコンビニのチョコレートがひどく情けないもののように感じる。
 教室に着くと、机の中にもチョコレート。どれも一つ一つ心がこもっているのがはっきりと判る。
「楊ぜん君。あの、これ」
 気がつけば差し出されるのもチョコレート。楊ぜんはにっこり微笑んでありがとうといってそれを受け取った。楊ぜんにチョコレートを渡した女の子は真っ赤になって、ありがとうございますと小さく言って逃げるように去っていった。今の行為だって相当勇気が要ったはず。
 なのに、自分はといえば……。
 明らかにコンビニで買ったものと判るチョコレートを渡すくらいなら、何も贈らないほうがいいんじゃないだろうか。弱気な心が顔を覗かせる。
 午前中の授業は楊ぜんの頭を素通りして行った。
 昼休みに珍しく太公望が楊ぜんの教室にやってきた。違うクラスの教室には入ってはいけないことになっているから、廊下で楊ぜんを手招きする。楊ぜんは覚悟を決めて席を立った。
 途中購買でパンを買って、3階からテラスに下りる。寒いせいか誰もいない。
 太公望はきょろきょろと辺りを見回し、誰か隠れていやしないかと注意深く確認してから、かばんの中からがさごそと何か取り出した。
「ほれ」
 ゴールドの包装紙にブラウンのリボン。コンビニで売ってるようなのじゃない、ちゃんとしたチョコレート。
「師叔?」
 びっくりして楊ぜんは太公望を見つめる。太公望はにこにこと笑った。
「バレンタインであろう? 楊ぜん」
「師叔から僕に下さるんですか?」
「おかしいかのぉ」
 太公望は照れたように笑う。
「でもな、楊ぜん。おぬしに何かやりたかったのだ」
「でも、僕……」
「よいよ。おぬしはただ受け取ってくれるだけでよいのだ」
「ありがとうございます」
 楊ぜんはおずおずと手を差し出し、太公望からチョコレートを受け取った。
 そして思い切って、口を開く。
「あります。僕からもあるんです」
 楊ぜんは慌ててかばんからコンビニのチョコレートを取り出す。乱暴に扱ったせいでリボンがひしゃげてしまって、なんだか悲しい。
 だけれど太公望は目をきらきらさせて微笑んだ。
「楊ぜんからわしにもくれるのか? わしのために準備してくれたのだのぉ。嬉しいのぉ」
 安っぽい包みのチョコレートを太公望は大事そうに受け取る。
「開けてよいかのぉ」
 楊ぜんが頷くといそいそと太公望は包みを解いた。小さなハート型のチョコレートが三つ。
「かわいいのぉ。嬉しいよ、楊ぜん」
 全然たいしたことないチョコレートを太公望は嬉しそうに食べる。
「おいしいのぉ。三つあるから、一つは記念にとっておこうかのぉ。チョコレートってどれくらい持つかのぉ」
 太公望が喜んでくれるたびに、ずきずきと楊ぜんの胸は痛んだ。
「どうしたのだ? 楊ぜん」
 浮かない顔の楊ぜんに気がついて太公望は心配そうに尋ねる。
「それ、今朝コンビニで買ったんです」
 楊ぜんはぽつんとつぶやいた。
「師叔はちゃんと僕のために準備してくれたのに」
「でも、今朝わしのために思い出して買ってくれたのであろう?」
「でも、全然師叔のと違う」
 しゅんとうなだれる。太公望が慌てて声をかけた。
「違うよ。チョコレートがどんなものだって、楊ぜんがわしのために買ってくれたってことが一番大事なのだ」
 必死に楊ぜんを慰めてくれる太公望に、楊ぜんも漸く笑顔を取り戻す。
「ありがとうございます。師叔。今度はちゃんと成功しますから」
 にこっと笑ってそういうと、太公望がきょとんとした。
「成功……?」
 しまった、と楊ぜんは思う。うっかり口を滑らせてしまった。
「えっと、あの。実は手作りチョコレート作ろうと思ったんですけど失敗しちゃって……」
 楊ぜんはいいながら赤くなって困ったように微笑んでみせる。
「手作り?」
 太公望は大きく目を見開くと、がしっと楊ぜんの肩をつかんだ。
「おぬしわしのためにチョコレートを手作りしてくれたのか」
「え? あ、はい。だけど失敗しちゃったんです」
 太公望の剣幕にびっくりしながらも楊ぜんは正直に答えた。
「楊ぜん! そのチョコレートはどこにあるのだっ!」
「どこって家に……」
「何故持ってこなかったのだっ!」
「だから、失敗……」
「おぬしの作ったものなら不味くても食う!」
「不味くはないですよ」
 むっとして楊ぜんは答える。
「ならなおさら、食うっ!!」
 太公望は楊ぜんの肩をつかんだ手に力をこめた。
「えっ? じゃあ、師叔。うちに来ますか?」
 突然の展開に戸惑って楊ぜんは尋ねる。
「行く」
 当然だと言うように太公望は頷いた。
「じゃあ放課後……。あ、でも生徒会が……」
 そういえば今日は水曜日。生徒会のある日だ。
「サボる」
「駄目ですよ!」
 そういうことには厳しい楊ぜんは太公望をにらみつける。
「でもチョコレートが……」
「チョコレートは逃げません。待っててあげますから、ね?」
 諭すようにそういうと、しぶしぶながら太公望は頷いた。

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