garden----------no.04
4月の日差しは優しく、やわらかい若葉が影をつくっている。その下を太公望と楊ぜんは子供みたいに走り抜けた。寮まで一直線。不思議と笑顔がこぼれた。
「アイドルがこんなにこそこそせねばならぬものだとは思わなかったわ」
寮のロビーで一息ついて太公望は冗談を言った。
「有名人はそれなりに大変なんですよ。行きましょう。この時間はそんなに人がいませんから」
対して楊ぜんは大真面目に答える。
「どうしてだ?」
「だってお昼ですから。皆食堂ですよ今頃」
言われてみればおなかが空いている。
「わしらは行かぬのか」
太公望が世にも情けない顔をしたので、楊ぜんは思わず噴出した。
「時間をずらしていきましょう」
「むぅ」
太公望はおなかを押さえてうなった。おなかがぐうぐうと抗議した。
途中、自動販売機でお茶とコーラを買って部屋まで歩く。部屋のドアが半開きになっているのを見て、楊ぜんが太公望をにらんだ。
「あなたが今朝僕を引っ張って鍵をかけなかったからいけないんですからね」
「泥棒かのぉ」
及び腰で太公望は言った。
「鍵をかけないのが悪いんですよ」
楊ぜんは冷たく言って、半開きのドアを思い切りよく開く。
誰とも知れない、スニーカーが一足。二人は顔を見合わせた。
「泥棒かのぉ」
「まさか」
楊ぜんは大胆にもつかつかと部屋の中へ入っていく。そして驚きの声を上げた。
「天化君!」
慌てて太公望が中に入ると、昨日案内をしてくれた少年がテーブルの横にちょこんと座りちょっと決まり悪そうに笑っていた。
「なんでいるの?」
「鍵が開いてたし、物騒だなと思って。だから。見張りさね」
楊ぜんはあきれたようにため息をつく。
「僕が言ってるのはそういうことじゃないよ。わかってるんだろう。中等部の生徒が高等部の寮に入るのは校則で禁止されてる。だいたい君、外出許可とって着たの?」
「まさか。意外とばれねえもんさ」
「そんなことしちゃ、駄目だよ。天化君成績良いのに、何でそんなことするの」
「これ、楊ぜん。そんなにぐちぐち言うでないよ。せっかく着てくれたのであろう」
思わず太公望は口を挟む。
「だって師叔……」
「そ、太公望さんの言うとおりさ。固いこと言いっこなしさ」
台詞はほぼ同時で、次の台詞もほぼ同時だった。
「天化君、師叔のこと、知ってるの?」
「師叔ってなにさ? 楊ぜんさん」
「ふーん。昨日も着てたんだ。天化君」
「太公望って名前のどのへんが師でどのへんが叔なのさ?」
一通りの説明が終わって、3人はとりあえず腰を下ろす。天化が気を利かせて大量のパンを買ってきていたので3人はとりあえずそれで昼食をとることにした。太公望は甘いジャムパンに楊ぜんはバターロールに手を伸ばす。
「とりあえず、俺っちも太公望さんのこと師叔って呼ぶことにするさ。いいかい?」
クロワッサンをかじりながら天化が言う。
「よいぞ」
ジャムパンのイチゴジャムをほっぺたにべたりとつけながら太公望が応じた。
「コーラに甘いパンなんてよく食べられますね」
太公望のために濡らしたお絞りを差し出しながら楊ぜんが眉をひそめる。
「そうかのぉ。美味いぞ」
次の標的にアンドーナツに密かに狙いを定めながら太公望はあっけらかんと答えた。
「楊ぜんさん、甘いの苦手だっけ?」
天化は持参の牛乳をごくりと飲む。
「そんなこと無いけど。ケーキにオレンジジュースとかは無理」
「どーして駄目なのだ?」
太公望が不思議そうに尋ねたが、楊ぜんはその台詞を黙殺した。
「そういえば、天化君。僕に何の用だったの?」
「あ、そうそう。明日の実力テスト。楊ぜんさんにヤマかけてもらおうと思って」
天化は鞄から教科書を取り出す。
「前日にヤマはっても、どうしようもないと思うけど……。それに。天化君はそんなことしなくても大丈夫だろう?」
「楊ぜんさんにヤマかけてもらえると安心するさ」
「ふーん」
楊ぜんは天化の教科書を手にとって、書いちゃって良い? と尋ねた。天化が頷くと赤いマーカーでしるしを付け出す。
その間に太公望は天化に尋ねた。
「おぬしも、ファンクラブの会員なのか?」
「まさか。俺っちは楊ぜんさんと部活が一緒だっただけさ」
天化は勢いよく首を振って否定した。
「部活? 楊ぜんは部活など入っておったのか?」
意外な気がして太公望は楊ぜんに尋ねる。
楊ぜんが教科書から顔をあげようとしないので代わりに天化が答えた。
「ちょっとの間だけさ。変な噂流すバカがいてやめちまったさ」
はき捨てるように天化は言う。ファンクラブの面々にも良い印象は持っていないのだろう。
「噂? しかし、ただのデマであろう?」
なんとなくこれまでの経緯から噂の種類は想像がついた。大方、また誰とできてるとかできてないとかそういう下世話なものだろう。
「そうさ。だから楊ぜんさんが辞める必要なんか全然なかったのに!」
口元を怒りに震わせて天化は叫んぶ。
「いいんだよ。天化君。僕、先生に進められて入っただけで、あんまり走るの好きじゃなかったから」
驚くほど冷めた声で楊ぜんが口を挟んだ。
「でも、楊ぜんさんなら新記録出せるかもってコーチが! それに走るの好きじゃないなんて嘘だろ、楊ぜんさん!」
「新記録は天化君が出すんだろう。陸上部期待の星って皆言ってるよ」
茶化すように楊ぜんは笑う。天化は首を横にふった。
「楊ぜんさん。今からでも遅くねぇよ。帰ってきてよ。陸上部。そしたらまた一緒に走れるさ!」
楊ぜんはパタンと教科書を閉じた。ゆっくりと顔を上げる。そして正面から天化を見つめた。
「天化君。ヤマはって欲しいなんて嘘だろう。僕を勧誘しに着たのかい」
ゆっくりと言葉を発する。その間瞬き一つしなかった。
「そうさ。だってこんなのおかしいさ。あんたもコーチも誓って変なことしてない。あの噂は全部バカの作ったでたらめで、そのせいで何でアンタが走れなくなるのさ!」
太公望ははっとした。これとよく似た話をさっき聞いてきた。
「のぉ、天化おぬしの言っておるコーチというのは、楊ぜんの担任だった……」
「そうさ。師叔だっておかしいと思うだろ。こんなの絶対何か間違ってるさ!」
すると、太乙が言っていた同期は天化の言うところのコーチであるわけだ。しかし、先ほど太乙から聞いた面白おかしく語られた話とは違って、天化から聞かされる話には妙な説得力と現実感があった。
天化を見て次に楊ぜんを見た。天化はこぶしを握り締めて一点を見つめている。楊ぜんに目を移した太公望は不意にぞくりとした。楊ぜんの目は何も見ていなかった。空っぽの表情で口元だけが嘲笑うようにつりあがっていた。
「楊ぜん……」
声をかけようと口を開いたが、情けなくなるほどか細い声しか出なかった。
どれくらい時間がたったのか、おそらくは数秒程度だろうが、その時間は重たく長く感じられた。
楊ぜんはすっと息をついた。緊張が解ける。
「ねえ、天化君」
優しい声だった。
「僕は自分の意思で辞めたんだ。誰かに無理やり辞めさせられたわけじゃないんだよ」
「でも、居づらくなって辞めたんだろ。そしたら同じさ。辞めさせられたのと変わんねーさ」
「違うよ。噂なんて無くても辞めてた。もともと集団行動って苦手なんだよ、僕」
「嘘さ」
天化はだんだん萎れていく。勢いが鳴くなり、表情も硬くなっていく。素直な性格なのだろう。心情がそのまま表に出るのだ。
「嘘じゃないよ。確かに一見上手くやってたように見えたかもしれない。でもそれは必死で僕が皆に自分を合わせてたからなんだ。疲れちゃうんだよ。そういうこと長くやってると」
「でも。だけど。走るのは好きだろ。楊ぜんさん!」
ぐいっと天化は顔を上げた。それだけが唯一の頼みの綱だとでも言うように。
だけれど楊ぜんは動じなかった。
「走るのならどこでもできるよ」
「でも。だけど。俺っち、あんたと一緒に走りたいさ!」
楊ぜんは静かに口を開いた。
「……ごめんね」
その台詞はそっけなかった。聞いていただけの太公望も心臓が締め付けられるように痛くなった。
場の雰囲気は重い。しばらくして天化は立ち上がった。
「今日のところは帰るさ。でも、まだ諦めねーよ。楊ぜんさん」
楊ぜんはくすっと小さく笑った。
天化が帰った後の部屋で、太公望はごろりとベッドに横になった。
「ああっ。ちょっと、師叔。下段は僕のなんですけど」
「固いこというでないよ」
太公望はごろごろする。頭に何かが当たって手をとると、それは小さな羊のぬいぐるみだった。
「なんだこれは。おぬしこんなもの抱いて寝ておるのか」
「ああっ! 触んないでくださいよ! もぉ」
太公望の手からぬいぐるみを奪い取ると楊ぜんはぎゅっとそれを抱きしめた。
「そんなもの大事にしておるから、変な噂立てられるのだぞ」
太公望はからかった。
「亡くなった父が最初で最後に買ってくれたものなんですよ」
楊ぜんは頬を膨らませる。
「それは……悪かった」
太公望は起き上がって謝った。
楊ぜんはくすくす笑う。
「いいんですよ。別に」
「のぉ」
「何ですか」
「ホントに良いのか」
「何がです?」
「部活」
「ああ」
楊ぜんは口元に笑みを漂わせたまま口を開く。
「良いも何も。全部本当なんですよ。さっき天化君に言ったこと。集団生活は苦手なんだ」
「しかし陸上部なら、そう集団で行動するわけでもあるまい?」
「同じですよ。どこの部活も。ミーティングも合宿も、わずらわしいったら。僕はそういうふうにできてないんです。一人でひっそりしてるのが好きなんだ」
「似合わぬのぉ」
「何がです?」
「おぬしは、その集団生活の中で華々しく君臨しておるのが好きなのかと思っていた」
「華々しく君臨するのは大好きですよ。良いじゃないですか、僕はすでにこの学園で華々しく君臨してるわけだし」
太公望は目をぱちぱちさせた。
「そ、それはともかく。おぬし、天化のほかにも部活やめてからも付き合いのあるやつはおるのか」
「いいえ」
あっさりと楊ぜんは首を振る。
「そうか」
「友達少ないんです、僕。ちょっと仲良くなるとすぐ変な目で見られる。その人が変な目で見なくても周りが変な目で見る。だから、友達って作れないんですよ」
そう言う楊ぜんの表情はさすがにさびしそうだ。
「天化は?」
「彼は特別ですよ。人懐っこいし、誰とでもああやってしゃべるし、変なこと考えないし、全部に一生懸命だし。だから周りの人も邪推しにくいんでしょうね」
くすっと楊ぜんは笑う。
「弟とかいたらあんな感じなのでしょうか。なんか、可愛いです」
「それはなんとなくわかる気がする」
「でしょう。ああいう人は貴重です。僕にとって」
だったらなおさら、部活を続けていたほうが良かったのではないかと太公望は思う。だから口を開いた。
「じゃあ、天化のために部活に戻ってやっても良いのではないか」
楊ぜんはまっすぐに太公望を見た。ちょっと気おされるほどの視線だった。
「それとこれとは話が違います」
太公望は再びどさりとベッドに倒れる。
「頑固物め」
楊ぜんは聞こえない振りをして教科書を開いた。明日の試験の勉強でもするらしい。ぼんやりとその姿を眺めていた。
孤独で冷たい何かが楊ぜんの周りを取り囲んでいるような気がした。
next.
novel.
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