garden----------no.07
授業を最後まで何とかこなし、部屋に帰ると楊ぜんはすでに教科書を開いてテストの答案とにらめっこしていた。
「ただいま」
居心地の悪さを感じて太公望は小さな声で申し訳程度に楊ぜんに声をかける。
「おかえりなさい」
思いっきり不機嫌な声で楊ぜんは答えた。
「おぬし勉強できるのだのぉ」
あせった太公望は何とか楊ぜんを持ち上げようとした。が。
「あなたもね」
取り付く島も無い。これは間を置いたほうが良いかもしれない。太公望はのそのそと二段ベッドの上に避難する。上から見下ろすと楊ぜんは赤ペンでノートに丁寧に回答を書き出していた。楊ぜんは正攻法では解けないようなちょっとひねった問題が苦手らしい。性格かのぉと太公望は考える。
「のぉ、わしが添削してやろうか?」
太公望は懲りずに声をかけた。
「結構です」
楊ぜんの声はそっけない。
同じ部屋にいても気詰まりなだけだ。外に行こうと起き上がった太公望に楊ぜんが言った。
「不公平ですよ。そう思いませんか?」
「は?」
「あなた全然勉強してないのに」
「全然と言うわけでは……」
太公望だって一応真面目に受験勉強したのだ。
「でも。僕よりしてないですよね」
それはその通り。だったので太公望はこくんと頷く。
「天才には努力じゃ勝てないんです」
「わ、わしは天才などではないぞ」
太公望は驚いて首を振って否定した。
楊ぜんはきっと太公望をにらみつける。
「あなたみたいな人は謙遜するとかえって嫌味ですよ。僕が惨めになるからこれ以上しゃべらないでください」
なんとも言い様がなく太公望は一瞬口をつぐむ。それからすぐに口を開いた。
「でも、おぬしの努力はとても尊敬できるものだと思うよ」
楊ぜんは黙っていた。
太公望はしばらく楊ぜんの様子を伺っていたがやがて、気詰まりになって気分転換に散歩でもしようかとドアに手をかける。ドアを開けた瞬間、小さな楊ぜんの声が届いた。
「ごめんなさい」
ばたんとドアを閉めて太公望は3階から校舎を見下ろした。
1位になど、ならなくとも良かったのにのぉ……
形だけでも勉強する振りぐらいはしておくべきだったか。否、それもなんだか楊ぜんを騙しているようで嫌だ。大体順位などどうして張り出す必要がある。せっかく楊ぜんと友達になれたと思ったのに、これで台無しだ。
太公望はとても寂しい気分になって、寮の階段をのたのたと降りた。
寮を出てぼんやりと歩く。楊ぜんと一緒に歩かないキャンパスは静かなものだ。
校庭では早くも運動部の練習らしい掛け声が聞こえる。太公望は喧騒を避けて人のいないほうへ、いないほうへと歩いてみた。歩くほど緑が濃くなり、道は細くなり、キャンパスの壁に突き当たるかと思えた頃、小さな建物が見えた。
そっと扉を押してあけると古い紙とインクの独特のにおいがする。図書館だった。普段本を読まない太公望はちょっと圧倒される。学校の図書館にしては規模が大きい。
座り心地の良さそうな椅子があったので適当に本をとって腰掛けた。読むつもりではない。昼寝するつもりだ。思いがけずふわんと体が沈み込んで気持ち良い。このままゆっくり眠れそうだ。太公望は幸せに目を閉じる。いつだって眠りにつく瞬間は幸せだ。
しかし、うとうとし始めたところで、声がかけられた。
「それは実践のつもりですか、太公望さん」
「は?」
太公望は慌てて目を開ける。正面に黒髪の小柄な女生徒が立っていた。台詞の意味を理解できない太公望に女生徒は太公望が持っている本を指差す。
C・G・ユング『夢分析』。
「ああ、そういうつもりはなかったのだ」
指摘されるまで自分がとった本の題名もろくに気にしてはいなかった。
「では、その本。私が借りてもいいですか」
「それはかまわぬが……」
太公望は思わず女生徒がすでに持っている本を見つめた。分厚くてなにやら難しそうな本をすでに5,6冊抱えているのだ。
「御心配なく。10冊まで借りられます」
「全部読むのか?」
「ええ」
女生徒は明瞭に答える。
「凄いのぉ」
太公望は感心した。
「凄いのはあなたではないですか、太公望さん」
「何がだ?」
太公望はきょとんとした。
「この学園で実力テストで1位を取るのは並大抵のことではありませんよ」
「そうかのぉ」
太公望は苦笑する。その話題はあまり嬉しくない。しかし女生徒は握手を求めるように太公望に手を差し出し、きっぱりとこう言った。
「次は抜かせていただきます」
太公望は再びきょとんとして莫迦みたいに差し出された白い手を見つめた。
「呂邑姜です。同じクラスですよ」
「ああ」
太公望は邑姜の手をとった。確かファンクラブで噂されていた。実力テストで3位に名前があった。次は抜かせていただきます。か。
太公望はにやりとした。
「ありがとう」
「なんですか。変な人ですね」
邑姜が立ち去った後も太公望はにやにやしていた。決して女子の手を握れたからではない。
ずっとわからなかった問題の回答にたどり着いた気がした。今回太公望が楊ぜんより点数が良かったのなら、次回は楊ぜんが抜けば良い。たった一回のテストで、ましてやあんな僅差で、実力が計れるわけもないのだ。
太公望は居心地のいい椅子から立ち上がった。
☆
部屋の前に立つと、中から話し声が聞こえた。誰か着ているのだろうか。楊ぜんの友達だろうか。いきなりドアを開くのははばかられて、太公望はちょっと聞き耳を立てる。ドアは意外と厚く、中途半端にしか台詞を聞き取れない。
「……から……どうしても……」
「だけど……天化君……」
天化? では中にいるのは天化なのか。また勝手に中等部を抜け出して楊ぜんに会いにきたのだろうか。懲りないのぉと太公望は思う。でも、そういう友達がいると言うことは楊ぜんにとってもいいことだ。規則規則とあまり煩く言わないよう楊ぜんにも注意しておこう。
楊ぜんと二人きりになるのもまだ気が引けたから天化がいるのはちょうど良い。
そう思って太公望はドアを開けた。
「でも楊ぜんさん! 俺っちどうしてもあんたが好きさ!」
太公望はぽかんとした。太公望がドアを開けたのは天化がそう叫んで半ば無理やりのように楊ぜんの唇を奪ったまさにそのときだったのだ。
状況の異常さに混乱した太公望はとっさに何もできなかった。
一瞬後楊ぜんは自力で天化を押しのけて、ドアに突進し、そのまま太公望を突き飛ばして部屋から出て行った。
巻き添えを食った太公望はドアの近くにぺたんとしりもちをついた。天化はうなだれたまましばらく動かなかった。
「ごめん、師叔」
随分と時間がたってからようやく天化はそれだけ言った。
太公望は未だ何を言って良いのかわからなかった。しかし結局それが良かったらしく天化は一人でしゃべりだした。
「おかしいって思うだろ、師叔。男が男を好きになるなんて。でもそうじぁねぇんだ。説得力ないかもしれねぇけど、俺っち楊ぜんさんだから好きになったんだ。あの人、綺麗で頭もよくって、それなのに凄い頑張ってる。その上でちゃんと努力できる人なんだ。だから俺っちあの人のこと尊敬してた。ずっと尊敬できれば良かったんだけど、いつのまにか好きになっちまったさ」
天化の告白に太公望は未だ戸惑っている。莫迦になった頭は空回りして、頭のスクリーンはさっきからずっと白いままだ。
「それでもずっと黙ってるつもりだった。だって困るだろ。あの人だって、男に好きって言われてもさ。だけど、師叔。あんたが着たから……。楊ぜんさんがあんたのこと好きになっちまったら……」
「ちょ、ちょっと待て。どうして楊ぜんがわしのこと好きになるのだ?」
太公望は慌てた。
「あんたは、ちゃんと楊ぜんさんを見てるさ」
天化は言った。太公望はお昼のファンクラブを思い出した。楊ぜんの外見を愛でる人は多いが楊ぜん自身をちゃんと見つめる人はずっと少ない。
「だから俺っち、急に我慢できなくなったんだ。今までは楊ぜんさんのことちゃんと見てるのは俺っちだけだってそう思えたさ。だからそれだけで満足できた。でもこれからは楊ぜんさんのすぐ近くにちゃんと楊ぜんさんのこと見てるあんたがいる。黙ってたら俺っちに勝ち目なんてないさ。だから――」
告白して。そして?
「楊ぜんさんに好きだって言って、イヤだって言われたら潔く諦めようと思ってたさ。でも楊ぜんさん、ちゃんと言ってくれねぇから。男が男を好きになるのは生物学的におかしいとか、法律でも同性の結婚は認められてないとか。俺っちはそういうのが聞きたかったんじゃねぇさ! 一言、自分は男は好きになれないって、それだけ言ってくれればよかったのに!」
そういう話になってしまったということは。太公望は頭の中で分析する。楊ぜんだってそうとう驚いて困惑していたのだろう。そして、楊ぜんが頼みとするところは、自分がどう思う、などではなくて規則、決まり、ルールなのだ。
「楊ぜんだって、焦っていたのだろう。いくら男のファンクラブがあるからといって、実際に告白してくるやつなどそうおらぬだろうし。まして、楊ぜんはおぬしのことが嫌いなわけではない。ファンクラブの面々のようにあっさり振ってしまうこともできなかったのであろう。もっとゆっくり答えを待ってやっても良いのではないか。また別の答えを出してくるやもしれぬし」
「俺っちだっていきなりあんなことしたのは悪かったって思ってるさ」
太公望は頷いた。あんなことがさっきのキスだと思い当たってまた混乱しそうになる。慌てて太公望は立ち上がった。天化とこれ以上一緒にいるのもなんだかいたたまれない。
「わしは楊ぜんを探してくる。おぬしも落ち着いたらいったん自分の部屋に帰ったほうが良い」
「けど……」
「一日くらい悩ませてやれ」
天化はこくんと頷いた。
「わかったさ」
☆
寮を出たところで太公望には楊ぜんの行く場所のあてなどさっぱりわからない。とりあえず教室と食堂に顔を出してみたが誰も楊ぜんを見ていないという。よく考えればあの楊ぜんが人の多そうな場所に近づくはずもない。楊ぜんが行きそうなのはむしろ人気のない静かなところ。
ようやく思い当たって太公望は走り出した。
本日二回目の図書館は閉館間近でさっき来たときよりもずっと人気がなかった。一階のフロアを見渡しても楊ぜんらしき姿はない。空振りかと思いつつ二階への階段を上がる。ずらっと並んだ本棚の奥、一番隅っこの椅子に楊ぜんが所在なさげに腰掛けていた。
太公望に気がついて顔を上げる。楊ぜんは泣いてはいなかったが泣き出しそうな顔ではあった。
「なんでこんなことになっちゃうんですか。僕、天化君は弟みたいに思っていたのに」
まるですべてが太公望のせいだとでも言うかのように楊ぜんは抗議する。
「今日は最悪です」
「そんなこと、言うでないよ」
太公望は静かに言った。
「結局天化君もファンクラブの人たちと変わらなかったんじゃないか」
声は小さかったが刺すように鋭い声だった。
「同じではない。同じに聞こえたのだとしたら、おぬしが間違っておる」
楊ぜんはきゅっと唇を引き結んだ。
「じゃあ、どうしろって言うんです! 天化君のことは好きだけど、付き合うとかそういうの考えられない……」
「それをそのまま、伝えれば良いのではないか」
「……そんなの」
太公望は生真面目な顔で厳かに言った。
「真実の声が一番心に届くものだ」
楊ぜんはくすっと笑った。
「誰の台詞ですか、それ」
「知らん。今とっさに思いついたのだ」
太公望は楊ぜんに手を差し出した。
「帰ろう。もうそろそろ夕食の時間であろう。腹がぺこぺこだ」
「あなたはそればっかりなんですね」
くすくすと楊ぜんは笑い出す。そして太公望の手を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。
next.
novel.
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