garden----------no.08
あの後。夕食をとっている間も部屋に戻ってからも、楊ぜんは何かを考えるように黙り込んでいた。太公望は楊ぜんが好きなだけ考えられるよう二段ベッドの上の段でごろごろしながら、いつの間にか眠ってしまっていた。
朝起きたときは遅刻寸前で――楊ぜんも寝過ごしてしまったらしい――二人で教室まで走った。だからあれから楊ぜんとはちゃんと話をしていない。授業中の楊ぜんは特に目立つこともなく、ただ先生から指されたときには完璧に答える。落ち着き払っているように見えた。
授業に身が入らないのはむしろ太公望のほうだ。
昨日のキスシーンが頭から離れないのだ。見てはいけないものだったとは思うが、太公望だって好きであのタイミングで飛び込んだわけじゃない。どきどきした。その反面喉の奥が苦しいような嫌悪感もあった。少なくともドラマのラブシーンとは全然違っていた。
あの時。ぺたんと床に座り込んでいた楊ぜん。驚いて見開かれた瞳。楊ぜんの肩を掴んだ天化の手。合わさった唇。それはほんの一瞬で、すぐに楊ぜんが天化を押しのけたはずなのだが、太公望の中ではその時間がずっと引き延ばされ固定されてしまっている。楊ぜんはあの通りの美形だし、天化だって顔は悪くない。それは決して眉をひそめたくなるほど不快な光景ではなかったはずだ。
ただ、グロテスクで肉感的でしかるが故の嫌悪感。
その光景を思い返せば思い返すほど、記憶は鮮明になり、果ては楊ぜんとキスしていたのが自分だったかのような錯覚を覚える。唇に感触が残っているような気がする。そして、太公望は酷く後ろめたい気分になる。
天化が楊ぜんに口付けたのは純粋な感情からのものだったのだろうと理解できるのだ。でも、自分が楊ぜんに口付ける場合はもっと背徳的で如何わしい思いを抱え込んでいるような気がする。
違う。わしは楊ぜんにキスなどしておらぬし、しようとも思っておらぬ。楊ぜんは友達だそれ以下でもそれ以上でもない。第一そんなこと、楊ぜんが許さないはずだ。
楊ぜんはどう思っているのだろう?
不意に太公望は考える。
中性的な楊ぜんとは違って、天化は一目で男とわかる顔をしている。楊ぜんには失礼な話だが太公望や天化は女性にみたてて楊ぜんにキスすることができるが、楊ぜんはそういうわけには行かない。
自分が天化とキスするとしたら――太公望はそこまで考えて慌てて首をふった。無理だ。嫌悪感とかそういう問題ではない。理屈ではなく、無理なのだ。考えることだってありえない。天化が嫌いなわけではないのだ。むしろ天化には好感を持っている。それでも、無理やり口付けられてその上それが冗談ではなく本気なのだとしたら――。
今までどおり、天化と友達ではいられないかもしれない。
昨日、図書館の2階にいた楊ぜんの姿が思い浮かんだ。
――なんでこんなことになっちゃうんですか。
それはそう言いたくもなるだろう。
楊ぜんの顔立ちがあんなだから、なんとなく、楊ぜんの心まで中性的なような気がしていたのだ。勿論そんなはずはない。
天化になんと伝えるべきか、そして今までどおり天化に接することができるのか、楊ぜんは今とても悩んでいるはずなのだ。冷静に見えたって、悩んでいるはずなのだ。
わしもちとフォローしてやるかのぉ。楊ぜんは不器用そうだし、天化も一直線な感じだ。なんとか、二人の関係が壊れないように、ちょっとだけお節介してやろう。
太公望は考える。
結局、太公望は上の空で授業を受け続け、三回教師に指され、三回とも見事に間違えたのだった。
最後のSHRが終わると、楊ぜんは太公望の席までやってきた。
「帰るか?」
「ちょっと。話がしたいんです。科学準備室で」
「部屋じゃ、駄目なのか」
「……天化君が来るかもしれないから」
「わかった」
太公望は立ち上がる。教室を出ようとしていた太乙に声をかけ職員室まで鍵を取りに行く。
「いいけど。私、これから職員会議だよ。相談があるなら……」
「いや。おぬしはよいのだ」
「はあ? 何それ」
憤慨したように言いながらも太乙は太公望に鍵を渡してくれた。
科学準備室まで二人は無言で歩く。部屋に鍵をかけ、漸くホッとしたように楊ぜんが椅子に腰掛けた。
「コーヒーでも入れるか」
「勝手に飲んで、良いんでしょうか」
「それくらいのことでごちゃごちゃ言わぬと思うよ」
太公望はそういってアルコールランプとフラスコでお湯を沸かす。不思議な光景だった。
「話というのは、昨日のことか?」
「はい」
太公望の声に、楊ぜんは身長に頷く。
それから、しばらくの沈黙。太公望は楊ぜんが話し始めるまでずっと待っていた。
漸く楊ぜんは口を開く。何か言おうとして少し、沈黙。そして。
「僕、天化君と付き合ってみようかと思うんです」
その言葉が脳に染み渡るまで3秒ほどの間。
「な……」
太公望はぽかんと口を開いたまま停止した。
「付き合ってみようかと思うんです」
もう一度楊ぜんが言う。
「ど、どうして?」
太公望は盛大にどもりながら何とかそれだけ口にした。頭の中は未だクエスチョンマークが飛び回っていて、脳の中をぐるぐるかき回されてるような状態だ。何も考えられない。
「一晩かけて、ゆっくり考えました。授業中もずっと考えてた。よく考えてみたら僕、天化君のことそんなに嫌いじゃなかったし」
「ちょ、ちょっと待て」
太公望は楊ぜんの発言についてゆくことができず、言葉を挟む。
「おぬしが天化のことを嫌いでないことと、おぬしが天化と付き合うことは全くの別問題ではないのか?」
「そうですか? 好きな子と付き合わなかったら、誰と付き合うんです?」
うっ……と太公望は言葉に詰まった。正論だ。言葉だけなら。
「好きと言っても、恋愛の好きと好悪の好きはまた別であろう?」
「でも、お見合い結婚とかはとりあえず付き合ってみるって感じですよね? 二人ともホントに両想いで始まる恋愛って、そんなに多くないんじゃないですか」
それはそうかもしれないが、しかし。しかし。
「天化君は、冗談であんなこと言う人でもする人でもありません。それだけ本気だったんだと思うんです。だったら、付き合ってみてもいいのかなって……」
太公望は焦っていた。楊ぜんが真面目に考えて真面目に答えを出したらしいことは判る。でも、その答えに太公望は納得できない。天化の好きと楊ぜんの言う好きは根本的に違うのだ。それは付き合ってからどうこうできるような問題なのか。それに。
「だが、楊ぜん。付き合うってことは、昨日のようにキスとかそういうこともするわけであろう? そうだ。おぬしら、男同士なのだぞ。冗談で付き合うのとはわけが違うのだ。天化は本気だ。楊ぜんはそういうのにも応えてやれるのか!」
太公望は授業中の想像を思い出す。同性同士のキスなんて、想像することさえ不可能だ。
しかし、楊ぜんはあっけなく言った。
「でも、僕。男の人、好きになったことありますから」
太公望はきょとんとして楊ぜんを見つめた。再び頭の中のクエスチョンマークが増殖を始める。
「その人と。キスしたいと、思いました。して欲しいって」
未だ立ったままだった太公望を楊ぜんはじっと見つめた。からみつくような視線。
「その人は。それはただの憧れだって言いました。君は勘違いをしているんだって。でも。僕は本当にその人が好きだったし、その人のこと愛してた。ただ、僕のその思いがその人にとって迷惑になるってこともわかってた。その人が僕のこと、恋愛対象にできないってこともわかってた。だから、僕、彼の言葉を否定はしませんでした。憧れなんかじゃない。好きだった。愛して、僕だけのこと見ていて欲しかったけど。今までも、これからも好きになったのはあの人だけです」
「それは……」
「誰かはいえません。その人に迷惑がかかるかもしれないから」
太公望に知られて相手が迷惑すると言うのなら、それは相手もこの学校にいると言うことなのだろう。
――古典の玉鼎先生じゃん。楊ぜんがなついてる
姫発の言葉が不意によみがえる。
「考えないでくださいね」
それを諫めるように楊ぜんが言った。ぐらぐらと音がして、気がつくとビーカーのお湯が沸騰している。太公望は慌てて火を止めた。
「でも、それなら余計、よくないのではないか。ほかに好きなのがおって、天化と付き合うと言うことであろう」
「忘れさせて欲しいんです」
小さく、楊ぜんは言った。
「忘れるなんて、できるわけないんですけど。でも」
小さなビーカーを二つ出して、インスタントコーヒーにお湯を注ぐ。慎重に慎重にこぼさないように。
「ごめんなさい。混乱させてしまいましたね」
ああ、ものすごく混乱している。
「それとも、あの。男を好きな男が同じ部屋にいるのは嫌ですか」
楊ぜんは恐る恐ると言う感じでそう尋ねた。
太公望はしばらく楊ぜんの顔を見つめいていた。何を言っていいのかよくわからなかった。実を言うと質問の意味の半分も理解できていなかった。綺麗な顔だと思った。白い肌にはにきびもしみも何一つない、勿論ほくろだってない。睫は長く、柔らかそうな唇。
「おぬし、天化にキスされたとき、嫌ではなかったのか」
楊ぜんはちょっとびっくりしたような顔をして、それから考えながら口を開く。
「驚きました。嫌じゃなかったといえば嘘になります。同意なしにああいうことをするのは問題です」
「キスしたいといわれたら、同意するのか」
「……時と場合によっては」
真面目な顔で楊ぜんが言った。
「わしがキスしたいといったら?」
「……え?」
見開かれた楊ぜんの瞳に、太公望のほうが唖然とする。自分の口から出てきた言葉が信じられなかった。
「違う。違うのだ。今のは……。すまぬ。なかったことにしてくれ」
あわてた太公望は楊ぜんに背を向けもごもごといった。違うのだ。あの台詞は全くの無意識だった。
でも、だからこそ問題だ。自分の体が自分のものではなくなってしまったかのような錯覚。
「いいですよ。師叔はちょっとだけ僕の好きな人に似ています」
背中越しに楊ぜんの声が聞こえる。心臓が大きくどきんと跳ねる。
わしと玉鼎が似ている。まさか! 向こうは大柄で長身、こっちは小柄で貧弱。全然違うではないか。
太公望が何も言えないでいると、諦めたように楊ぜんは言った。
「ごめんなさい。今のもなかったことにしてください」
太公望は大きく深呼吸をした。
「……判った。聞かなかったことにしよう……」
太公望は楊ぜんのほうへ向き直ったがなんとなく目を合わせづらく視線を空へ泳がせる。二人は黙って薄いインスタントコーヒーを飲んだ。
飲み干したビーカーを置いて太公望はぽつんと呟いた。
「天化は、喜ぶであろうな」
楊ぜんは黙ってこくんと頷いた。
――のぉ、楊ぜん。おぬし本当にそれで良いのか?
言えない台詞はそのまま自分に跳ね返ってくる。
――のぉ、太公望。おぬしは本当にそれで良いと思っておるのか?
答えは出ないまま、やがて太乙が科学準備室に顔を出したので、二人は揃って部屋に帰った。
next.
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