garden----------no.09
その日、結局天化は顔を出さなかった。
太公望はホッとしたような、拍子抜けしたようなへんてこな気分で二段ベッドの上の段に横になった。未だテレビもゲームもないこの寮生活には慣れない。楊ぜんはこの間の模試をもう一度解きなおしている。広げたノートはびっしりと几帳面な小さな字で埋め尽くされている。
太公望はぼんやりと楊ぜんを見ながら結局先に眠ってしまった。
次の日も、その次の日も天化はやってこなかった。
ひょっとして、諦めたのではないだろうか。太公望はなんとなくそう思った。落ち着いて考えたときに男同士だと言うことに引け目を感じたのかもしれないし、楊ぜんが過去にそういわれたように、恋愛ではなくてただの憧れだったと悟ったのかもしれない。
翌日は太公望が学園に来てはじめての日曜日だった。私立である崑崙学園は土曜日の午前中にも授業がある。まるまる一日休みになるのは日曜日だけなのだ。未だ落ち着かない高校生活と寮生活にさすがの太公望も疲れていて、その日は出かける気にならなかった。起きたのだって11時をすでに回っていた。
大あくびをしながら漸くベッドから出てくる気になった太公望に、部屋の隅っこで本を読んでいたらしい楊ぜんはくすっと笑って挨拶をした。
「おはようございます。よくそんなに眠れるものですね」
太公望は目をごしごしこすりながら答える。
「そうかのぉ。わしにしては早いほうだぞ。3時ぐらいまで寝てたこともあるし」
「そんなに寝ていたらかえって体がだるいでしょう」
「だあほめ、休みの日ぐらいしかのんびり寝てられぬであろうが、だからたくさん寝溜めしておくのが良いのだ」
「寝溜めってできないんですよ」
あっさりと楊ぜんは言った。
「そういうおぬしは何時に起きたのか」
「8時くらいでしょうか。あなたよりは早いです」
「その時間に起きたら、わしなら二度寝するがのぉ」
「起きちゃったんだから、仕方ないでしょう」
「腹でも減ったのか」
「あなたじゃありません」
楊ぜんは言って、ぱたんと本を閉じた。
「おなかが減っているのはあなたでしょう。ちゃんと顔を洗って支度をしたらちょうど昼食の時間になりますよ」
太公望は頭をぽりぽりと掻いてもう一度口が裂けそうなほどあくびをする。
「そうだのぉ。ラーメンが食いたいし、学食でも行くか」
楊ぜんはため息をついた。
「食べて寝てばっかりだと、ブタになりますよ」
「母親みたいなこというでないよ」
「誰が」
何故か赤くなってそっぽを向いてしまった楊ぜんを太公望は新鮮な思いで見つめた。母親と言われて赤くなるなんて変な奴だ。
日曜日の校舎は閑散としている。規制の多い寮生活の中では日曜日に思いっきり羽を伸ばしに外へ出かけてゆく生徒が多いのだ。いつもは、席取りをしておかねばならない学食だって日曜日は空席だらけだ。太公望と楊ぜんはのんびりお昼を食べて、太公望にいたってはデザートにあんみつまで注文して、ガラガラの学食を楽しんだ。
部屋に帰ったのは一時過ぎくらいだった。
ドアを開ける前から太公望も楊ぜんもなんとなく気配に気がついていた。誰か、いる。そういえば、また、鍵をかけ忘れた。
「天化君、でしょうか」
かすれたような声で楊ぜんは言った。
「たぶん」
太公望は頷く。
「大丈夫か」
「ええ。答えは、出ていますから」
楊ぜんは一歩踏み出す。
「そうか」
太公望は楊ぜんを引き止めたいような気がしたが、なんといって良いのか、判らなかった。
「わしは、ちょっと出かけてくるよ」
太公望はそういって、楊ぜんが引き止める前に踵を返した。
行く当てなどない太公望はぶらぶら寮の中を歩き回って、結局ファンクラブの空き部屋のドアを叩いた。
「よぉ、今ちょうどコーヒー入れたとこなんだ。飲むか?」
顔を出したのは姫発で、いつもどおりの当たり前の彼の笑顔になんとなくホッとして太公望は頷いた。
「太公望、楊ぜんは一緒じゃないのか?」
部屋の中には韋護がいた。この二人は相部屋で、一緒にいるのは部屋と変わらないはずなのだが、どうにもここのほうが落ち着くらしい。
楊ぜんという単語に太公望は自分では判らないほどわずかに顔を曇らせたようだ。
「なんだよ。早々に喧嘩かぁ。楊ぜんは引かなそうだし、折れてやれよ」
からかい半分で韋護が笑った。
「喧嘩はしておらぬ、客が着ておるから遠慮しただけだ」
「楊ぜんに客……って、誰?」
姫発が眉をひそめる。
「楊ぜんにも友達くらいおるであろう?」
話を切り上げたかった太公望は怒ったように言った。ここに来たのは不正解だったらしい。
「楊ぜんにおまえが遠慮しなきゃなんないような友達なんているかぁ? 女は男子寮入れねーし」
意外に姫発は鋭い。
「わ、わしはこう見えても滅茶苦茶人見知りなのだ。初めてあった人とは1週間くらい口をきけぬのだ」
太公望は苦しい言い訳をする。韋護がにやりと笑った。
「俺たちちょうど会って一週間くらいだけど、おまえ、滅茶苦茶しゃべってない?」
太公望はため息をついた。頭が死んでいるようで、上手く言逃れができないのだ。こういうときは言い逃れをしても無駄である。それに、一人でもやもやしているのは嫌だった。
「天化がきておるのだ」
「あー。あいつ高等部までのこのこ通ってんだ、で、天化が来るとどうして太公望が逃げなきゃなんねーんだよ」
話してしまうことに抵抗はあったが、結局太公望は口を開いた。
「楊ぜんが好きだといった。部外者は出てゆくのが礼儀であろう?」
「莫迦だなぁ。そんなの楊ぜんが受けるわけないだろ。いちいち気使ってたらあの部屋にいられないぞ、おまえ」
あっさりと否定されたが、太公望はそうは行かないことを知っている。
「のぉ、もしも楊ぜんと天化が付き合い出したら、ファンクラブはどうするのだ?」
姫発は驚いた顔をしたが、やがてちょっと考えてから口を開いた。
「どうするって、そりゃあ……楊ぜんがほんとに天化が良いって言うんなら、暖かく見守るしかねーんじゃねぇの。俺たちはストーカーじゃねぇんだし」
姫発の言葉に太公望は驚く。
「反対せぬのか」
「楊ぜんが嫌だって言ってんのに天化が無理にせまってるんなら、反対するぜ」
「だが、男同士だぞ」
「そういうのが問題になるんなら、こんなファンクラブ作んねーよ」
あっけらかんと姫発は笑う。
「ま、ここだけの話、俺は付き合うんなら女がいいけどなー」
姫発の軽い言葉に太公望は少なからずショックを受けた。急に自分がちっぽけな、情けないもののような気がしてきたのだ。肩を落として太公望はしゃべりだした。
「わしはなんだかずっともやもやしておったのだ。男同士で付き合うと言うのが、気持ち悪いとまでは言わぬが、しっくりこないと言うか、何か違うような気がして……勿論、個人の趣味にあれこれ口出ししようとは思わぬ。否、いままでは思わなかったのだ。ただ、友達がそうだと言うのがちょっと……。わしは心が狭いのだのぉ」
「それは仕方ねーんじゃねーの。あんたは楊ぜんとはまだ知り合ったばっかだし。俺たちだって可愛いから男でもいいかって悟るまでには結構悩んだしな」
あっけらかんと姫発は笑う。それから急に声を潜めた。
「それより太公望。おまえ、そういう話が出てくるってことは、もしかして天化、脈あり、なのか」
「……楊ぜんは、嫌いじゃないと言っていた」
「そりゃ嫌いじゃないだろう。そうじゃなくて……」
「ところがそういう話らしいのだ。楊ぜんは嫌いじゃないから付き合ってみても良いみたいなことを言っておるのだ。わしはだんだんわけがわからなくなってきた」
「おまえさぁ、楊ぜんが天化が好きでどうしようもないってんならともかくさ。そういう場合阻止しろよー。おまえだってファンクラブの一員なんだぞ。しっかりしろ」
げんなりした顔で姫発が嘆く。
「いや、しかし。こういうのは二人の間の問題だし、それに男同士だからどうのこうのと言って止めるのは……」
「ちょっとまてよ、話がずれてるぞ」
今まで黙っていた韋護が不意に口を開いた。太公望はきょとんとする。
「変だろ、それ。楊ぜんがとりあえず嫌いじゃなきゃ誰と付き合っても良いと思ってることと、その相手が男だってことはとりあえず切り離すべきだろう」
太公望はちょっと考えてから言った。
「しかしな。嫌いでなかったらとりあえず付き合ってみるのもいいっていうのは、それはそれでアリなのではないか?」
「まぁ、楊ぜんがそれでいいというのなら、それこそ個人の問題だろうな」
脇で姫発は不満そうな顔をしていたが、とりあえず何も言わなかった。
「男同士でも当人同士が納得して付き合うのなら、それも個人の問題であろう」
「そこは諸説あるだろうけど、おまえはそれで納得してるわけだな。たとえば俺と発が実は恋人同士でしたーなんてことになっても動じないわけだ」
「動じないと言うわけにはいかぬが。受け入れる努力はするよ」
「ふざけんなよ。受け入れるな気色悪い!」
姫発が途中でわめいたが韋護も太公望もあえて無視した。
「じゃ、聞くけど、そこにさっき言ったようなもやもやはあるのか」
「さっきのとは違う……気がする」
今の設定で感じるのは単純な驚きと、戸惑い。こころをかすめる嫌悪感とそれを諫める良心。しかし、その中に落ち着かないもやもやしたものはない。
不意に姫発が口を開いた。
「そりゃ、おまえ。全然別のことに納得できてないからだろ」
「は?」
「おまえ、楊ぜんが好きなんだよ。だから天化と付き合うのが嫌なんだ。男同士とか、好きでもないのに付き合うのが変だとか、そんなの全部タテマエじねーか」
太公望はぽかんとした。
「頭の良い奴はこれだから駄目なんだよ。理屈ばっかつけやがって」
「ちょ、ちょっと待て」
「なんだよ」
「わしは楊ぜんが好きなのか?」
ひっくり返った声で尋ねた太公望に、姫発は容赦なく言った。
「おまえなー。それくらい自分で考えろ!」
「言っとくけど、俺たちは天化にもおまえにも加勢しないぜ。俺たちは楊ぜんが幸せになれるように動く。それだけだ。天化と上手くいくようならそっちを応援する。もっとも、向こうはもう告ってるんだろー。状況は厳しいんだから、まぁ、ほどほどに頑張れよ。振られたら可愛い女の子紹介してやるからなっ」
部屋を後にする太公望を姫発はそういって送り出した。
状況は厳しいも何も絶望的だ。何しろ天化はもう楊ぜんに告白しているし、楊ぜんもそれを受けるつもりだと言う。今頃はまた例のシーンがあの部屋で再現されているかもしれない。
太公望はがっくり肩を落としてため息をついた。部屋に戻る気にはなれない。図書館へ行こう。
まさか自分の意思で図書館に通う羽目になるとは思わなかったが、今はあそこが、じっくり考えて答えを出すには最適の場所と思えた。
じっくり考えて答えを出す――太公望は未だ、自分が楊ぜんを好きなのかどうか、それすらも判りかねている。
近くにいるのが心地よいと感じる。それは友情なのか恋なのか。
恋。太公望は眩暈がしそうになる。自分が男に恋をするなんてことは考えたこともなかった。
初恋の相手は小学校の先生だった。大学を出たばかりの綺麗な人で、勿論女性だ。それこそ、憧れのようなものだったのかもしれない。告白することも悟られることもなく終わった。
中学生になれば人並みに女に興味があった。でも同級生の女子は子供っぽくて煩くて、とても付き合いたいとは思えなかった。
だけど、男が好きだったことなんて、一度もない。
太公望は何とか自分を納得させようとする。
でも、天化と楊ぜんが付き合うと言うことが、たまらなく不快なのもまた事実だった。
わしは始めてあったとき楊ぜんを女だと思ったのだ。勘違いしたのだ。その勘違いをわしの心はずっと忘れられないのだろうか。楊ぜんが男だとわかった今も?
わしは楊ぜんが好きなのか?
頭が擦り切れたようになるまで考えても答えは出なかった。
太公望はそれでもじりじりと閉館まで粘り、わざと道を間違えながら部屋に帰った。
そして、太公望を出迎えて何か話したそうにしている楊ぜんを無視して逃げるように二段ベッドの上に上がり布団をかぶって寝た振りをした。
next.
novel.
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