garden----------no.10
当然のことながら太公望は眠れなかった。
月曜日は寝不足で酷い有様だった。ふらついていて、おまけに熱まで出た。心配顔の楊ぜんが太公望の前に立ちはだかって言った。
「今日は休んだほうが良いですよ。寝ててください」
「大丈夫だよ」
太公望はぶっきらぼうに楊ぜんを押しのけようとするが、反対に自分の足元がふらついてしまう。
「あんなに遅くなるまで遊んでるからですよ」
昨日、無視されたことを楊ぜんは根に持っているらしい。
「風邪かもしれないじゃないですか」
「しかし、この学校で授業に遅れるのは……」
「頭の良いあなたなら大丈夫でしょうよ」
しっかり嫌味も忘れない。しかし、それで気が済んだのかだいぶ優しい声で楊ぜんは言った。
「授業は僕がノートとっておきますから」
太公望はため息をつく。ふらふらで吐き気までするのは事実なのだが、部屋にいると余計なことを悩んでしまいそうで嫌だ。まだ学校で授業を聞いていたほうが気が楽な気がする。
「ほんとに大丈夫だと言っておろう」
「そうは見えませんよ。無理してもっと酷くなったら迷惑だから言ってるんです」
結局太公望は楊ぜんに負けて、再びベッドに逆戻りした。ただ上段は危ないと楊ぜんが言い張って下段のほうに入れられてしまった。乱暴に太公望に布団をかける楊ぜんに太公望は漸く聞きたくて聞けかかったことを聞いた。
「のぉ、天化とはどうなったのだ」
「とりあえず、日曜日にデートしようってことになりました。それから無断で高等部の寮に忍び込まないようにきつく言っておきましたよ」
楊ぜんはにこりと笑う。
「そうか」
「じゃ、行って来ますよ。起きてたら駄目ですからね」
そういって楊ぜんは部屋を出て行った。
また、天化とキスしたのか?
とても聞けなかった。
太公望はもぞもぞと布団の中にもぐりこむ。楊ぜんが使っている布団だ。良い匂いがする。楊ぜんの髪の匂い。なんだかどきどきした。
やっぱりわしは楊ぜんが好きなのか?
とたんにいたたまれなくなった。楊ぜんに無理やり入れられたのに、楊ぜんの布団を使っていることがとてつもなく背徳的で悪いことのような気がしてきたのだ。
どきどきする。とても眠れない。
しかし、体が疲れているのも事実で、上の自分のベッドに上がるのが億劫なのも事実だった。
それにしても。さっきの楊ぜんの台詞を考える。
とりあえず日曜日にデート。
とりあえず。
やっぱりあやつ何もわかっておらぬ。少なくともカップルの始めてのデートはとりあえずするものではないはずだ。楊ぜんにとって天化と付き合うことは幼稚園児のやるママゴトの延長線なのかもしれない。
そう思えば天化があわれでもあったし、滑稽でもあった。
そして、それでもやはり、少しだけ、羨ましいような気もした。
どうやらわしは楊ぜんのことが好きらしい。
そして太公望はやっと、そう思うことができた。
悟ったと同時に失恋したのだな。
ぼんやりと思う。
楊ぜんの天化への想いがどんなものであれ、二人は付き合っているのだから。
悲しいとか諦めとかそういった思いは心の中になかった。そういうことを思うにはあまりにも気がついたのが遅かったのだ。
ただ、淡々とした気持ちで太公望は考える。
この想いは楊ぜんにも天化にも決して悟られないようにしよう。そして、二人とは今までどおり友達でいよう。できるはずだ。
一度決めてしまえば心は楽になった。そして、そのままうとうとと太公望は眠ってしまった。
おなかが空いて目が覚めたのはもう1時過ぎで、テーブルにはパンとジュースが置いてあった。楊ぜんが一度戻ってきてくれたらしい。それに気がついたとき初めて太公望は泣きたいような気持ちになった。もう少し早く気がついていれば、この優しさを手に入れられたかもしれないのだ。
何もかも遅すぎる。
今はまだいい。でも、楊ぜんが本当に天化を好きになってしまったら、楊ぜんと同じ部屋でわしはどうしたらいいのだろう。それでも友達でいるなんて、できるのだろうか。
途中で部屋を変わる方法があるのかどうか、一度姫発に聞いてみるべきかもしれぬ……
テーブルに頬杖着いてぼんやりと考える。
視界の隅っこに楊ぜんのノートが写った。模試の答案を書いていたノートだ。ぱらぱらとめくってみれば楊ぜんの細かい字がびっしりと敷き詰められている。最新のページは数学をやっていたようで、一門だけ何度も解きなおしてあるのがわかった。
引っ掛け問題か。
この問題はフェアじゃない。未だ習っていない公式を使うか、ある程度のカンが働かないと解けないようにできている。100点防止のための問題といったところか。
ほんの少しのイタズラ心を起こして、太公望は楊ぜんのノートを添削していった。得意な問題。不得意な問題。つっかえるポイント。ちょっとした勘違い。考え方の癖。
丁寧で、真面目で、正直で。一度間違えると正解が見つかるまで何度も解きなおす。
楊ぜんが愛しくなる。
添削を終えると太公望はノートを元の場所に戻し、今度は二段ベッドの上の段に上がって眠ってしまった。
気遣うようなノックと小さなただいまの声に太公望は目を覚ました。
「ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
「いや。だいぶ寝たようだし」
「熱、下がりましたか? 具合はどうですか」
「ああ、よくなったようだ」
「よかった」
楊ぜんはにっこり笑う。その微笑に、心臓が締め付けられるようだ。
「パン、ありがとう。おぬしであろう?」
「ええ。おなかが空くと、師叔は人の言いつけを無視して勝手に出て行っちゃいそうでしたからね」
楊ぜんはくすくすと笑った。
「一応風邪薬、買ってきましょうか?」
「いや。よいよ」
たぶん。これは風邪じゃない。
「急に環境が変わったからですかねー。意外とデリケートなんですね」
面白がるように楊ぜんは言う。
「ノート、とっておきましたから。あなたの頭なら簡単に取り戻せますよ」
渡されたルーズリーフには、楊ぜんの細かい文字がびっしりと並んでいる。黒板の文字だけでなく、先生の言葉や注釈まで付け加えられており、マーカーも使いすぎることなくきちんと重要項目にのみ色がつけてあってわかりやすい。
「すごいのぉ」
素直に感心して言葉が漏れた。
「師叔はノートとらないんですか」
「気が向いたときは」
膨れた顔で楊ぜんはふーんとうなった。何か気に障ることを言ってしまったらしい。
会話を終わりにして楊ぜんは机に向かう。模試のノートをぱらぱらとめくる。例の太公望が勝手に添削した奴だ。この分だと余計なことをしたと怒られるかもしれない。太公望は首をすくめて様子を伺った。
あ。と小さく言ったきり楊ぜんは押し黙った。
太公望はどきどきしながら次の反応を待つ。が、楊ぜんはそのまま何も言わず、勉強を始めてしまった。感謝も反発もされなかった。太公望はちょっと拍子抜けして、ちょっとがっかりした。
「暇だったのだ」
言い訳するように太公望は言った。
「悪かったな」
とりあえず謝ると、楊ぜんは漸くこちらを見て太公望をじっと見つめた。不思議な瞳だった。透明で静かでじっと太公望を見つめている。
なんだか照れてしまって太公望は慌てて視線をそらした。そんなふうに見つめられることには慣れていない。
しばらく楊ぜんは黙って目をそらした太公望を見つめていた。
が、やがて再び机に向かう。
「なんだかあなたは少し……」
口を開きかけて楊ぜんはぎゅっと口をつぐむ。
代わりに心の中で呟いた。
――なんだかあなたは少し、僕の好きだった人に似ています。
何故そんなことを思うのだろう。自分の感情が不可解だった。
――ちっとも似ていないのに。
日々は平和に過ぎていった。太公望もあれ以来は休むことなく学校に通っている。楊ぜんやファンクラブ以外の友達もできてようやく学校が自分の居場所になった感じだ。
時折、楊ぜんと天化のことを考えてちくりと胸に何かが刺さっているような気がする以外は。
だから、次の日曜日はあっけなく訪れた。
太公望はもやもやした思いで、はちきれそうになっている。風船ならパンっと音を立てて破裂する寸前だ。
「師叔。デートって何着てけばいいんですか?」
太公望の気持ちなんか知らず、楊ぜんはあっけらかんと太公望に尋ねる。
「適当でよかろう」
「でも、デートなんですよ」
「好きな服着ていけば良いではないか」
「女性っぽいほうが良いでしょうか」
楊ぜんの質問に朝の牛乳を飲んでいた太公望はごほごほとむせた。
「どうして?」
「だって、男同士だと偏見とかあるでしょう?」
太公望はちょっと考える。楊ぜんの顔なら、胸のない長身の女性と言うことで通ってしまう可能性は高い。だが。
「別に中学生のデートなんて友達と遊びに行くのと変わらないであろう。誰も気にせぬよ」
太公望は言い捨てた。
「高校生ですよ」
「天化はまだ中学生だ」
楊ぜんは膨れる。
「天化君はちゃんとしてくれると思いますけど」
「ちゃんとって何だ」
太公望はだんだん不機嫌になる。
「腕組んだり、とかですか」
「したいなら勝手にすればよかろう」
「何怒ってるんですか」
そういわれて、まさか嫉妬してますと答えるわけにも行かない。太公望は黙った。
「あの。じゃ、師叔も一緒に行きます?」
「だあほめ」
初デートに友達を連れて行く奴がどの世界にいると言うのか。
とたんに楊ぜんが黙り込んだ。口をつぐんでうつむく。
「あの……やっぱり……気持ち悪いと思ってますか、僕のこと」
世にも暗い声で楊ぜんが言った。
「師叔は優しいから、僕に気を使ってくださるけど。生理的に駄目とか……そういうのって、もう、どうしようもないものですし……」
「ち、違う」
太公望は慌てる。話が変な方向にねじれてしまったようだ。
「いいんです。僕も自分のこと、おかしいんじゃないかって、思うこと、あります」
「そ、そんなことはない」
太公望はとりあえず否定したが、その根拠を理屈立てて説明することはできなかった。
「おかしいんですよ。生物学的に見て、だって生命って言うのは次の世代にを生み出していくもので、なのに僕は真っ向からそれに歯向かった存在なんです。僕は滅びるだけなんですよ」
「いや、しかし」
急に話が大きくなって太公望は戸惑った。楊ぜんの話し振りから見て、楊ぜんが今までもずっと男を好きになったことがある――天化については、多分恋ではないはずだ――ということで思いつめて悩んでいたのであろうことが伺えた。
なんだか楊ぜんがかわいそうになってきて、太公望は反論した。
「そういう生物学的なことは、他の男に任せて置けばよかろう? 男はおぬしだけじゃないんだし」
「そういうのってタテマエですよ。僕に生命として価値がないことに変わりはありません」
だからってどうしてそんな話になるのだ。太公望はカチンときた。大体そういう悲観論は嫌いだ。
「じゃあ、何か? 子供の産めない女にも価値はないのか? 子供が生まれない夫婦は意味がないのか? おぬしのその理屈はあんまりであろう! 人間にはほかにもっといろいろ価値はあるであろう? たとえばわしはおぬしとあえて良かったと思っておるし、おぬしがいるからこの寮生活も楽しいと思う。それも価値がないのか? 全く無意味なのか? わしらは生殖するためだけに生きておるのか? 子供を作ったらそれで終わりか?」
一気にまくし立てて楊ぜんをにらみつける。
「だけど」
楊ぜんも太公望をにらみつけた。
「実際問題、子供が生まれなかったら人類は終わりです」
「おぬし一人くらい子供を作らなくても人類にとってたいした問題ではないっ!」
「師叔は悩んだことないからそういうこといえるんですよ! 師叔は普通に女の子が好きなんでしょう? もうほっといてください!」
太公望はまた反撃しようとしたが楊ぜんが目に涙を溜めているのを見て結局何もいえなくなってしまった。確かに太公望は悩んだことなどなかった。これから先、悩む可能性があるかもしれないにしてもだ。
でも一方で楊ぜんの言い方は凄くずるいと思う。それは太公望を拒絶する言葉だ。理解しようとする心も何もかもすべてを拒絶する言葉だ。そしてそれはとても心を抉る。
何か言いかけようとして、太公望は口をつぐんだ。今口を開いても、きっと楊ぜんには届かない。
楊ぜんも何も言わなかった。
「あーたら、今日はどうしたのさ」
楊ぜんを迎えにやってきた天化が不思議そうにいったが、結局ふたりは一言も口を利かないままわかれた。
next.
novel.
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