garden----------no.11
天化と楊ぜんのデートから、一週間が過ぎようとしていた。
あれから、特に何かが変わったわけではない。太公望と楊ぜんは以前と変わらないように話をしたし一緒に登校していた。だけれど、微妙に合わさることのない視線。さりげなく触れ合うことを避けるようなしぐさ。ギクシャクと油を差し忘れた機械のように。緊張した張り詰めた空気が二人の間を満たしている。
太公望も楊ぜんもそれに気付いていないわけではなかったが、かといってどうしたらいいのかもわからなかった。
そんな二人をよそに、学園は間近に迫ったゴールデンウィークの話題で持ちきりだった。私立の強みで飛び石連休を全部つなげて休みにするせいで、今年は10日近くの休みになるのだ。
「太公望はどうするんだよ。家に帰るのか?」
ファンクラブの部室でも話題はやはりゴールデンウィークだ。実家へ帰るもの、家族で海外へ行くものも意外に多い。寮に残るのはほんの1割程度しかいないそうだ。それだって親が海外へ出張中などのわけありの学生たちだ。
「ん。そうだのぉ」
太公望は生返事を返す。実はまだ決めていない。
「楊ぜんは?」
続けざまに質問が来て、太公望はちょっと考えてから短く言った。
「知らん」
「知らんって……おまえ、同じ部屋だろ」
太公望はちょっと黙りこんだ。楊ぜんとの距離は確実に開いている。お互いにプライベートな話題は避けるようになっていた。
「おまえら、最近なんかおかしいだろ」
不意に韋護が口を開く。太公望はちょっと驚いて韋護を見た。
「そう見えるか」
「やっぱ、あれのせいか?」
小さくすばやく韋護は囁いた。
天化と楊ぜんが付き合っていることはまだファンクラブには伏せてある、知っているのは太公望と姫発と韋護のみだ。
「かもしれん。しかし、わしは楊ぜんに避けられておるような気がするのだ」
不意に韋護は立ち上がった。
「ちょっと外出ようぜ。太公望」
韋護と連れ立って外に出る。1階ロビーの一番奥まった椅子に二人は腰掛けた。寮の正面玄関は開けっ放しで、そこから勢いよく外の風が流れ込んでくる。少し肌寒いくらいに。
「こういうのはさぁ、口出しすべきじゃないなって俺、思うんだけど。あんたたちホントにまだるっこしいって言うか、苛立たしいって言うか。ホント余計なおせっかいだよな、俺って」
「なんなのだ」
太公望は膨れる。
「じゃあ言うけど。楊ぜんのこと避けてんのはおまえのほうだろ、太公望」
ぴんっと立てた人差し指を韋護は太公望の鼻先につきつけた。
「そんな……」
言いかけた太公望の台詞を韋護は奪う。
「そんなことないって、言えるか? おまえ学校終わったらすぐファンクラブに来るだろ」
「それは、楊ぜんが……」
太公望は口ごもる。
「楊ぜんといると気まずいんだろ」
見透かしたように韋護は笑う。
「だから、避けられておるような気がすると言っておるであろう」
「そうか? 俺にはむしろ楊ぜんがあんたのこと怖がってるみたいに見えるんだけど」
「な……」
太公望は驚いてぽかんとした。嫌われたのだと思い込んでいた。だから楊ぜんが自分を避けるようなしぐさをするのを見ても避けられているのだと思っていたのだ。
「おどおどしてるよ。しかられるんじゃないかって怖がってる子供みたいだ。あんた楊ぜんに何言ったんだ?」
「……わしか? わしのせいなのか?」
楊ぜんが太公望のことを怖がっているとしたら、恐れているとしたら。
――あの……やっぱり……気持ち悪いと思ってますか、僕のこと
「だあほめ」
吐き捨てるように言って、舌打ち一つ。
ちゃんと否定してやったではないか。何故、信じられぬのだ。
確かに楊ぜんは悩んでいた。それはずっと前から、おそらく初めて男を好きになったというまさにそのときからずっと悩んでいたのだろう。あの時、うやむやにせずにもっととことん話し合っておけば良かったと言うのか。
でも話し合いを拒絶したのはほかでもない楊ぜんではないか。
「思い当たったか?」
「思い当たったが……どうすれば良いのだ」
拒絶されたときの悔しさがよみがえる。どうやら思っていたより深く自分は傷ついていたようだ。
「仲直りすれば、いいんじゃねーの」
にいっと韋護は笑った。
「じゃ、俺もう行くから。おまえは部屋に帰れよ」
去ってしまった韋護の後を太公望は恨めしげに見つめた。
その仲直りの仕方が、わからないと言うのに。
ため息ついて立ち上がる。部屋までの道のりがとても遠い。胃が痛くなりそうな感じだ。部屋の前で軽く深呼吸。
左手に力をこめ、ぐいっと戸を開く。鍵はかかっていなかった。
珍しく早く帰ってきた太公望を不思議そうに楊ぜんが迎えた。紫の硝子のような瞳。久々に見たような気がした。
「早かったですね」
驚いたようにそういった。
「久々に、おぬしと話をするのも良いかと思って」
「話なら今朝したじゃないですか」
「もっとちゃんとした話だよ」
テーブルについて向かい合うとなんだかまた気まずい雰囲気が漂う。
「勉強しておったのか?」
楊ぜんの机を見て太公望は言った。見慣れたノートが広げてある。
「ゴールデンウィークが終われば、中間テストは目の前ですから。ちょっとは勉強しておかないと師叔でも痛い目にあいますよ」
楊ぜんは微笑む。若干ぎこちなく。
「ゴールデンウィークはどうするのだ?」
「別に……ここにいると思いますけど」
そっけない会話。
「家に帰らぬのか」
「あまり……帰っても楽しい家じゃありませんから」
吐き捨てるように楊ぜんは言った。
「では、わしも残るかのぉ」
「え……」
「ひとりでは、寂しかろう?」
にいっと太公望は笑った。
「僕といても、楽しくないと思いますよ」
「わしは楽しいと思うよ」
膨れた顔の楊ぜんに太公望はにやりと笑う。
「それともおぬし、わしが嫌いか」
「……そんなこと……ありません」
「よかった」
二人は目を合わせて、ちょっとだけ笑った。気まずい空気が少しだけほどけていく。
「師叔は帰らなくてもいいんですか?」
「よいよ」
「でも御両親は……」
心配げな楊ぜんに笑ってみせる。
「もう、おらん。わしが世話になっておるのは耄碌ジジイのところだから帰っても帰らんでもそう変わらんのだ」
「それは……申し訳ないことを」
「別にかまわんよ。それよりゴールデンウィークはどうする?」
楊ぜんが暗い顔をしそうになったので太公望は慌てて話題を変える。
「勉強してようかなと思ってました」
「おぬし、それしかないのか……」
「今度こそは師叔を抜きます」
握りこぶし片手に楊ぜんは微笑む。
「わ、判った。勉強もするとして、少しは息抜きが必要であろう?」
「また、チョコレートパフェでも食べに行くんですか?」
楊ぜんはにこりとする。パフェはお気に入りのようだ。
「そうだのぉ、たまには銀座とかに出てみるのもよかろう?」
「銀座? 師叔が銀座って……凄く似合わない」
笑いをこらえるように楊ぜんは口元を押さえる。
「おぬし……じゃあ、わしにはどこが似合うと思うのだ」
「秋葉原……?」
「怒るぞ」
くすくすと楊ぜんが笑った。つられて太公望も笑う。
「ったく。せっかく映画でも見ようと思ったのに」
「映画ですか……? 映画よりも緑がいいなぁ。明治神宮とか新宿御苑とか」
「おぬし、これだけ緑が豊富なところにおるのになんでわざわざ都会に出て公園に行くのだ」
「じゃあ、プラネタリウム」
「池袋か」
「水族館もありますしね」
「ゲーセンもあるしのぉ」
くすっと楊ぜんは笑う。
「なんか、デートみたいですね」
すうっと笑いが引くのを太公望は感じた。それでも何とか笑顔を作り何気ない風を装って楊ぜんに尋ねる。
「そういえば、天化とのデートはどうだったのだ」
「うーん。楽しかったですよ」
「手ぐらい握ったのか?」
「師叔。セクハラオヤジみたいですよ」
「むぅ」
膨れた太公望の顔に楊ぜんはくすくす笑い。でも、すっと真顔に戻って小さく呟いた。
「でも、よくないと思うんですよね」
「ん?」
聞き返した太公望に楊ぜんは慌てて首をふった。
「なんでもないんです。なんでも」
太公望が問いただすべきか聞かなかったことにすべきかちょっと迷っている間に楊ぜんは再び口を開いた。
「ねぇ、師叔。師叔にとって、僕って男ですか、女ですか」
真剣な紫の瞳がじっと太公望を見ている。
女と見紛うような美しい顔を持ち、男に惚れたことがあると言う。身体は男、心は女。性同一性障害。そういうことなのか? でも。
「男であろう? おぬしは」
楊ぜんの心が女だとは思わない。
くすっと楊ぜんは笑う。
「ええ。でも、なんだか。そこのところを勘違いしている人が多いみたいで」
「何を言っておるのだ? この学園のものなら、おぬしが男だってこと皆知っておるであろう?」
太公望はきょとんとする。
「そうなんですけど……」
楊ぜんは困った顔をして言葉を捜す。
「うーん。じゃあ、こういいましょう。知っていながら女扱いされている。これならどうです」
「それは……」
「天化君もきっとそうなんだと思う」
静かに楊ぜんは言った。太公望が何か言いかけるのを察して、先に口を開く。
「違うんです。天化君の心を疑うわけじゃないんですけど。天化君はやっぱり何か勘違いしているような気がして。ねぇ、師叔。僕、綺麗でしょう? 凄く」
とっさに聞かれて、太公望はギクシャクと頷いた。
「だから無意識に。天化君に悪気はないんでしょうけど。天化君は本当に男の僕を好きなつもりなんでしょうけど本当はきっと……」
楊ぜんは少し辛そうにうつむいた。
「でもそれは……天化にしか、否、天化にだってわからぬであろう?」
天化が好きになったのが、男である楊ぜんそのものであるのか、それとも美しい女のような楊ぜんだから好きになったのか。否。それは違う。
「だから僕、天化君は、僕なんかと付き合うべきじゃないって。天化君は普通に可愛い女の子を好きになるべきだって。だって……天化君優しかったんですよ。凄く。気を使ってくれて、荷物持ってくれて。でも、それで僕、気がついたんです。ああ、違うんだなって。そういう優しさって、僕に向けられるべきものじゃないんだ」
「わからぬよ。楊ぜん。天化はおぬしを好きなのであろう? 男だからとか女だからとかそういうのとは関係なくおぬしが好きなのであろう? それじゃ駄目なのか? 楊ぜん」
言いながら太公望はとても苦しくなる。楊ぜんが疑って――あるいは、怖がって?――いるのは天化の心。しかし、同時に太公望自身も責められているような気分になる。楊ぜんの言葉はそのまま太公望にも当てはまるからだ。しかし、そこで太公望がフォローせざるを得ないのは天化についてで、自分についてではない。
楊ぜんは首を振って言った。
「それじゃ駄目なんですよ。師叔」
「僕が天化君と付き合うことで、天化君はなんて言われますか、どう思われますか。僕はどんなに綺麗で美しくても男なんですよ」
男同士の恋愛に眉をしかめる人間は多い。
「でもそれは、天化だって覚悟して……」
「天化君じゃない。僕が耐えられないんです」
楊ぜんは肩を震わせて小さな声で言った。
「僕、とても酷いことをしました。天化君にとても酷いことをしました。師叔、僕――」
言葉に詰まった楊ぜんの瞳から、透明なものが一滴落ちるのを見て、太公望はそっと楊ぜんのそばにより、ゆっくりと楊ぜんを抱き寄せた。そうしなければ、楊ぜんが消えてしまいそうな気がして。
抱き寄せた肩は震えている。ぺたんと座り込んでいる楊ぜんと、膝立ちで彼を抱きしめている太公望。
「忘れさせて欲しかっただけなんです、あの人のこと。天化君の気持ちなんて、少しも考えてなかったんだ、僕」
太公望は黙っている。吐き出せるものなら、全部吐き出してしまったほうがいい。
「それなのに、天化君は僕に優しくて。僕は天化君を利用しようとしたのに。何も考えてなかったのに。なのに、どうして、そんな僕に君は優しくするんだ!」
抱きしめる太公望の手に、楊ぜんは爪を立てる。肌に食い込む爪の痛みはそのまま楊ぜんの心の痛みを表している。
「おぬしのことを、好きだからだよ。天化が、おぬしのことを、好きだからだよ。のぉ、楊ぜん。おぬしは天化を好きにはなれぬのか?」
ぎりっと血を流しているのは、きっと手ではない。
楊ぜんは黙って首を振る。
「好きですよ。好きだから、耐えられないんです。僕が天化君を利用していることも、僕と付き合って、天化君が他の人からあれこれ言われることも、どうしても、耐えられないんです」
搾り出すように楊ぜんは言葉をつむぐ。
「天化が、それでもいいと言っても?」
楊ぜんは口をつぐんだ。
「おぬしは……天化のことが、信じられぬのだな」
何も言わない楊ぜんは、しかし、否定もしなかった。自分には傷ついた顔をすることさえ許されないのだと言うように、白く強張った顔は、なんの表情も映し出さなかった。
next.
novel.
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