花散る里(一)




 今にも壊れそうな黄色い軽自動車が、九十九折の坂道を登ってゆく。
 ハンドルを握るのはこの春大学2年生になる太公望。助手席で地図を握るのは太公望の幼馴染の普賢真人だ。春休みを利用して、二人で桜前線を北上する計画。
「ねぇ、望ちゃん。この辺に隠れた桜の名所があるって噂知ってる?」
 地図ばかりにらみつけていると車酔いしてしまうと判断したのか、普賢真人はふいに顔を上げて話し出した。
「桜の名所? 山桜ならたまに見えるが、名所というほどの桜はないのぉ」
「うん。なんか怪奇現象みたいな噂でね。路に迷ったときじゃないとたどり着けないんだって」
「なんだ。オカルトか。オカルトは好かぬ」
 太公望がきっぱり言うと普賢真人はくすくすと笑った。
「望ちゃんは怖いの駄目だものね」
「なっ。何を言うのだ! わしはただそういうのは迷信で科学的でないから嫌いなだけだ」
「嘘。卒業旅行で行った遊園地のお化け屋敷で、女の子より大きな悲鳴上げてたもん」
「ち、違うのだ。あれはのぉ、わしの声がたまたま響きやすい周波数だっただけなのだ」
「もぉ。わけわかんないよ」
「お」
 不意に太公望は車を徐行させた。
「普賢、あれ、なんであろう?」
「僕には……岩みたいに見えるけど」
 道路の真ん中にそれはあった。幅も高さも1メートルは超えようかというほどの岩。
 ついに太公望はその前で車を止めた。
「何なのだこれは、土砂崩れか」
 車の外に出て太公望は眉をしかめる。右からも左からも通れないように、きっちり真ん中に放置されている岩。もちろん押しても引いてもびくともしない。
「土砂崩れって……岩だけぽつんと置いてあったりするのかな」
 小さく普賢真人がつぶやいた。
「じゃあ、何なのだ」
「いやがらせ、かなぁ」
「だあほめ、ハリボテではないのだぞ。いやがらせにこんなに労力をかけるやつがおるか」
「うーん。そうなんだけど何か人為的っていうか……」
 考え込む普賢真人に太公望は言った。
「とにかく、今はなぜこんなものがここにあるのかよりも、これからどうするかが先決であろう?」
「これからどうするかって……戻るしかないんじゃない?」
 あっさりといった普賢真人に太公望はため息をつく。こやつは車運転しないからわからぬのかもしれぬが、しかし。
「どうやってUターンするのだ」
「あ」
 道は狭い。まさかバックでもと来た道を戻るわけにも行かない。
「とりあえず連絡……」
 言いながら携帯電話を取り出した普賢真人はため息をついた。
「駄目だ。圏外」
「わしもだのぉ」
 二人は顔を見合わせた。
「とりあえず、携帯のつながるところまで歩くしかないのぉ。普賢、ここからだと民家はどちらが近そうだ?」
 車から地図を取り出してきた普賢はちょっと考えてから言った。
「ここからだったら、進んじゃったほうが早いみたい」
 二人はげっそりした顔を見合わせた。
 車に戻って貴重品を取り、車はしっかり鍵をかけて、ふたりは坂道を登り始める。
 しばらく進んだところで道が二つに分かれた。
 普賢真人は地図をにらみつける。
「あれ……。おかしいな、分かれ道なんてないはずなのに……」
「古い地図なのではないか? それ、図書館で借りたやつであろう?」
「でも、この道、そんなに新しいものには見えないけど……どっちに行く?」
「下に下ってるほうかのぉ」
 二人はじぃっと道を見比べた。
「あんまり変わんないと思うけど……」
「ではこちらだ。根拠はない」
 太公望は自信満々に言い切って右側の道を進んだ。あきれながら普賢真人はそれに従う。
 15分ほど歩くとまた分かれ道があらわれた。
普賢真人は地図を見つめたがすでに自分たちがどこの場所にいるのかわからなかった。
「うーん。こっちかのぉ」
 今度は太公望は左に進む。
「ねぇ望ちゃん。道が狭くなってきてる」
「そう、だのぉ……」
 ぎりぎり車がすれ違えるくらいだった道の幅が、今ではやっと一台通れるかといった道幅になってしまっている。
 さらに10分ほど進んで二人は足を止めた。
「望ちゃん……」
 また分かれ道だ。しかも今度は明らかに車が通れないような細い道になっており、アスファルトの舗装も無くなっている。
「戻ったほうが、良くない?」
 ぐいっと普賢真人が太公望の袖を引っ張った。
「待て、あそこに何か立て札が見える。行けばここがどのあたりなのかわかるやも知れぬ」
「立て札? そんなのどこに見えるの」
「どこって、ほらそこに」
 太公望は走り出した。足の裏がアスファルトを離れてやわらかい土を踏みしめる。
 木で出来た古い立て札。だいぶ墨が流れてしまっている。
 そこに――
 ――これより先、桜の里。部外者立入禁止。
 桜の里? 何かの施設か? 部外者立入禁止ということは関係者なら、中におるということか?
「普賢! 助かったぞ!!」
 振り返って呼んだ先には霞が立ち込めていた。氷のような冷たい霧。
「なんなのだこれは? 普賢、こっちへ来い!」
 太公望は一歩霧の中に足を踏み出した。鳥肌が立ちそうなほど冷たい霧が太公望の周りを包み込む。
「普賢? どこにおるのだ? 凄い霧だのぉ。おぬしの姿がまったく見えぬ。返事をせいよ、普賢」
 そのまま太公望は我慢して3メートルくらい進んだ。霧はますます濃くなる。
「普賢?」
 霧のせいだけではない冷気が太公望の心を伝った。
 今、踏みしめているのはアスファルトではない。土だ。
 立て札は分かれ道の真ん中に立っていた。分かれ道からアスファルトの舗装が途切れてむき出しの地面が現れていたはずだった。
 それなのに。なぜわしは未だ土を踏んでいる?
「普賢? 普賢!!」
 大声で叫んだがこだまも返らなかった。まるで、霧の中に吸収されてしまったようだ。
「普賢!!」
 どこまで戻っても足は未だ土を踏みしめる。
 声がかれるまで叫んで、それでも普賢真人は見つからなかった。
「どうなっとるのだ、いったい」
 この霧で遭難したとでも言うのか? 登山しに来たわけではない、ごく普通の一般道を歩いていただけだというのに。
 否、しかし。この霧で足を踏み外し転落したのかも知れぬ。
 すぅっと血の気が引いた。
 ならば一刻も早く、助けを呼ばねば。捜索隊でも救助隊でも着てもらわねば。
「普賢ー! すぐ戻るからのぉ!」
 かすれた声で叫んで太公望は再び進み始めた。
 立て札を過ぎたところで不思議なほど霧はあっさりと晴れた。振り返れば、白い霧。
 まるで、閉じ込められてしまったようだ。
 意を決して太公望は歩みを進める。
 20分ほど歩いただろうか。桜の群生が太公望を迎えた。
「これは……」
 そんな場合ではないというのに、思わず圧倒されるほどの眺めだった。
 視界のあらゆる先々に満開の桜の木が誘うように太公望を迎え入れる。どこもかしこも、桜の花。桜以外の木など一本も生えていない。
 太公望は走り出した。
 どこまでも続く大輪の桜。霞のような薄紅の世界。どこまで走っても途切れない世界。
 その中に、ぽんっと赤い色が混じった。
 ころころと転がり足元までやってきた赤い鞠。太公望は思わず立ち止まりそっと鞠を拾い上げた。
「誰か、おるのか……?」
 かさりと衣擦れの音がした。太公望ははっとして振り返る。
 長い髪、白い頬。小袿姿の少女が目を丸くして太公望を見つめていた。
 まるで人形のようだ。太公望は思う。
「おぬしは……」
 くるん。太公望が話しかけたとたん少女はきびすを返した。桜と同じく薄紅の袿が鮮やかに広がる。走りにくそうな着物で、ぱたぱたと走って行く。
「待て、待ってくれ!」
 太公望はあわてて追いかけた。なぜこんな山の中に平安装束の少女がいるのか、否、そんなことよりも。人がいるということは助けを求められるということだ。少女が頼りにならなくてもきっと大人が近くにいるだろう。
「待ってくれ」
 少女の足は意外と速く、太公望はなかなか追いつけない。走っても走っても桜の森は途切れることがない、ずっと同じところを走らされているような不安が付きまとう。
 もしや、キツネにばかされているのではあるまいな。
 そう思ったとき、桜が途絶えた。太公望はぽかんと口を開けた。
 平屋の豪奢な建物。寝殿造りというのだろうか、教科書にでも出てきそうな建物が目の前に広がっていた。そして、中から出てきた人物は狩衣姿の男。
 小袿の少女は狩衣の男のもとへぱたぱたと走っていき、その陰に隠れた。男は太公望のほうを怪訝そうに見ると少女に何か尋ねる。肩のところで切りそろえられた髪がはらりと揺れた。
 発せられたのは不思議な音の声だった。およそ太公望の知るどの言語にも似ていない。少女は何か男に言い返すが、こちらは完全に聞こえなかった。
 やがて男は後ろに少女を隠したまま太公望のほうを向く。
「ちょっとお説教をしたんだ。いつまでもお転婆でいるから、知らない人に顔を見られたりする」
 完璧な日本語だった。雰囲気に飲まれてしまって太公望は言葉を返せない。
「君は外の者だね」
 太公望はこくりとうなずいた。それから赤い鞠を差し出す。
「これを」
「ああ、お気に入りの鞠が帰ってきて、良かったじゃないか楊ぜん」
 男はそうつぶやくと、今度は太公望の知らない言葉で何か言いながら楊ぜんというらしい小袿の少女に鞠を返した。少女は小さく口を開いて何かを言った。それに対して、男がまた何か言う。少女は男の後ろから顔を出して太公望を見つめた。男はくすりと笑う。
「お礼が言いたいらしいよ」
「礼など良いよ。それより頼みがあるのだ」
 不意に太公望は重要なことを思い出した。意気込んでたずねる。
「この先で、連れがいなくなってしまったのだ。怪我をして動けないのやも知れぬ。助けを呼びたいのだが」
「この先? ああ。君は一人じゃなかったんだ……。いいよ、ついておいで」
 男はそういうと楊ぜんに何か言った。楊ぜんがそれに言葉を返す。男は困ったような顔をする。ため息をついて何か言うと歩き出した。
 太公望が連れ立って歩き出すと、楊ぜんもついてくる。
 渡り廊下を二つほど進むと庭に出た。池を覗き込み男は何かつぶやく。太公望はイライラする。こんなことをしている場合ではない。もしやここはあやしげな新興宗教の施設なのでは?
 そんなことを思う間に、池にさざなみが立ち始めた。風など吹かなかった。太公望は目を見張る。やがてさざなみが消え、池は鏡のように静かになった。
「ごらん」
 男が指差す。
 池の中にはさっきまでいたはずの道路が映し出されていた。ぼろぼろの黄色い車が見える。普賢真人が困ったような顔で警官と話している。警官は首をひねり車の前を指差す。あの道をふさいでいた大きな岩が、綺麗さっぱりと消え去っていた。
「これは……」
 冷や汗が流れた。
「行方不明になっているのは、君のほうだ」
「どういうことだ」
 太公望は男に食って掛かる。
「さあ、私にはわからない。ただ年に一人二人、君のようにこちら側にやってくる人間が現れる。私たちの世界にも、新しい風が必要ということだろうか」
「おぬし何を言っておるのか!」
「ああ、君にはまだ言うのを忘れていたね」
 男は笑う。
「ここは八百万の神々に捧げる桜の里。神の住まう世界だ。ここで不遜なことをすると。死ぬよ」
 太公望は息を呑んだ。先ほどの不思議な手品――でないというなら、なんというのだ?――からしても、この桜咲くあやかしの様な風景にしても、笑い飛ばすにはいささか無理があった。
「おぬしが何を言っておるのかさっぱり判らぬ」
「わからなくていいよ。君は私たちにしてみればかげろうのようなもの。どうせ一週間程度で外へ出される。それまで神のための桜をめでる機会を与えられた幸運をせいぜい楽しむといいさ」
 わけもわからぬまま、太公望には小さな一室が与えられた。縁側に出てぼんやりと眺めると満開の桜が咲き誇っている。そういえば、ここの桜はひとひらも散らない。
 男は太公望をこの部屋に案内するといくつかの注意を残してさっさと去っていってしまった。
 ほかの部屋をのぞかないこと。
 桜の枝を折らないこと。
 楊ぜんに近づかないこと。
 しかしそれ以外ならば好きなときに外に出るのも庭を歩くのも可能。
 そういえば去り際におかしなことを言っていた。
 楊ぜんはしゃべれないのかとたずねた太公望に、男はこう答えたのだ。
「この子は今年の春生まれたばかりだからまだしゃべれないよ。言葉は聞き取れるし、君の言っている事だってわかるはずだけど」
 この春生まれたばかりなわけがない。楊ぜんはどう幼く見積もっても14歳より上に見える。
 あの男流の冗談なのだろうか。男は太乙真人と名乗った。
 桜の里。神の世界。まさか、のぉ。
 そうすると楊ぜんも神様なのだろうか。
「うー。わからんのぉ。せっかくだし花見でもするか!」
 景気づけに声を出して、太公望は外に出た。

next.

novel.